第5回放送のTwitter発言まとめその6

reitia00聴き専ラジオ、さすがに終わってますね。は、は、は… link
chasyanまあ、キャラクターだ音源だの話は複雑ですよね。それにこだわる人がいるから、ニコのカテゴリーグループ分け一つで傷つく人も出てくる。 link
reitia00見てる:Twitter / Search - #kikisenradio http://bit.ly/X0TLS link
NezMozz@xhloe おお伸びてましたか!貢献できたなら嬉しいことです、わーい。 link
ejiwarp@cazucun そもそも歌声合成音源としてのあり方は、言語合成とは違って「確実な定位置」がまだ存在していないから、この辺は複雑というか。もうミク様々と言うか。 link
NezMozz@xhloe 先週のDaisyかけたのは大分あとのほう、1時間25分くらい link
corbicula自分はそれらについて語れる位置に居ないので、ただ公開情報として色々のこってるから追体験してくることで、「ボーカロイドの」考察を深める材料があるんじゃないでしょうか?くらいのことしかw link
cazucun@ejiwarp UTAUの話にかんしてもそうですが、その「複雑さ」はよく分かるんです。けれど、それに囚われるとなにも語れなくなるようにも思うんです。 link
reitia00ハッシュタグしか見てませんが、思わず反論したくなるような内容だったのかな。 #kikisenradio link
reitia00これだけ意見を引き出せているとは面白かったんだろうなと思う。 #kikisenradio link
corbicula@cazucun でもそうして「語れる」レベルにそぎ落としたものは、実情から乖離した「誰でもちょっとぐぐればまとめられる程度の」考察になりませんか? link
cazucun批評っていうのは、正確な分析というよりも、それ自体がひとつの表現なんだって思った。 link
corbiculaよくある企画屋のレポートみたいに。 link
ejiwarp@Ceripher すみませんこの二人しかわからなくて....>テト、ももさん。 link
xhloe@NezMozz ありがとうございます、デイジーDaisy Bell繋がりだったんですね。トークもじっくり聴かせて頂きますー。 link
corbiculaいえ、一般的な認識としては十分だとおもいます。 RT @ejiwarp : @Ceripher すみませんこの二人しかわからなくて....>テト、ももさん。 link
ejiwarpいい話>批評。ですが根拠はググれるくらいとわかるレベルの止まってるから、いささか浅い感じがするので。 RT @cazucun : 批評っていうのは、正確な分析というよりも、それ自体がひとつの表現なんだって思った。 link
corbiculaなので、もしそのレベルの「批評」がやりたいなら、UTAUとテトにはむしろ触れないままでいてください。 link
_nekozane_いや、どちらかというと、「ビジュアルや声質によって要求される演技の最適解は異なる」という話か。あらかじめ「後でこういうビジュアルを当てますんで」と言われれば演技できても、「後でいろんな人に変えます」と言われると演じる人が困るだろうなあ。 link
corbicula@_nekozane_ それは確かに難しそうですね。。。やはり「好きに差し替えられる」はムリがあるんですね。 link
reitia00ただちょっと敷居が高い感じがする。私は呼ばれている立場側なのでこの視点で言いますが、ボカロ曲をちゃんと聞いてないと叩かれそうな。も、もう少し気楽に… #kikisenradio link
ejiwarp. @cazucun @corbicula 実態に合わないため、表面的な事態しか語れず、批評もフォーカスが合われていないから残念的。 link
cazucun@corbicula なると思います。実際、ぼくの発言にオリジナリティはありません。それはぼくが一番よく分かってます。しかし、ぼくが「発言すること」にはオリジナリティのようなものがあります。ぼくに役目があるなら、それは「言葉が始まるきっかけ」を作ることぐらいですね。 link
ejiwarp@Ceripher なんというか、一回「シンボルとして存在した」ミクの価値について語りたくなるというか。これらの音源を「一言でいえばミクみたい」という「実体」を与えること自体に意味があると思う。 link
corbiculaいや、そんなことはないですって。でもうたらんは作って欲しいです。。。 RT @Ceripher : もしかして:そんなこと言ってる暇があったらうたらん作れ link
reitia00ちなみにテーマ「ボカロと演技」で私が想起したのは喋らせてみただったりする。 #kikisenradio link
ejiwarpミクが出てこないと、いろんな素晴らしいものが出てこれなくて、数年もしないうちに命に絶望して死んじゃうという悪寒。 link
corbicula@ejiwarp 実際UTAU界隈の現象ってのは作り手聞き手問わず、「ボカロ文化」の延長線上(コレ自体初音ミクの延長線上)にあるとおもうので、それを補助線に「ボカロ批評」の理論の補強ができる可能性はあると思うのです。 link
ejiwarp関連しているテーマなのにタグ付け忘れてる....あー link
reitia00これ以上は聞いてから出ないと憶測になりますね。ではお休みなさいノ #kikisenradio link
ejiwarp@cazucun プレシャー掛かりすぎてすみませんでした。ついったでのあの語りをそのままにラジオの中にぶっ放しにすることを期待していたので。 link
ejiwarp@cazucun ですから、「外側ならこれくらいしかわからないではないかな」という想像が付けられる。前回のユリイカも、ボカロ界隈からみるとちょっと浅い感じがしていたけど。 link
xaby_bokasachi@ejiwarp cazucunさんのtwitterで出てくる発言の多くは脈絡なく出させるからってところがあるので、今回のラジオのように脈絡に沿って順序だててってのは難しかったと思います。 link
cazucun@ejiwarp いや、普通に覚悟はしていました。なんでもそうなんです。絵でも小説でもなんでも。 link
ejiwarp厨ですみません....>< 叩くのは良くないとは知っています。 RT @reitia00 : ただちょっと敷居が高い感じがする。私は呼ばれている立場側なのでこの視点で言いますが、ボカロ曲をちゃんと聞いてないと叩かれそうな。も、もう少し気楽に… #kikisenradio link
corbicula@Ceripher むしろ立場を明確にした上で喋っていただくのもアリだと思います。色々な立ち居地の人がかかわって、物事は動くのですし。 link
ejiwarp@xaby_bokasachi 見る限りある程度の脈絡があると思うけど....ポストモダン論?あれ? link
corbiculaまぁ、実際ネタにはなったわけで、cazucunの目的は達成されてるわけだよな。あとは各自考察を深めればよい、と。 link
xaby_bokasachi@ejiwarp いや、まぁ、大まかなテーマは一貫してるんですけど、twitter上だと短期的な投稿の連続性というか繋がりがなくてもいいんでですね。twitterだと理路整然としてつぶやく必要がなくてラジオだとあったと捉えてもらえれば。 link
xaby_bokasachiまー、自分は責任とれんから自分の箱庭(ブログ)とtwitterで言ってるだけだわな。ブログに関しては自分の中では隔離に近い。 link
ejiwarp@xaby_bokasachi なるほど、ついったで理路整然で書くほうが、TLの不便があからさまになっちゃうわけだ。 link
chasyan@unapy そういう漫画的表現の元祖は、とりあえずディズニーか手塚治虫か藤子不二男と書いておけばどれか正解だと思いますww link
vocaloidbotRT[reitia00:VP1]ただちょっと敷居が高い感じがする。私は呼ばれている立場側なのでこの視点で言いますが、ボカロ曲をちゃんと聞いてないと叩かれそうな。も、もう少し気楽に… #kikisenradio link
vocaloidbotRT[reitia00:VP1]ちなみにテーマ「ボカロと演技」で私が想起したのは喋らせてみただったりする。 #kikisenradio link
xaby_bokasachi考え事するときは連続ポストするタイプなんだけど、以前つぶやいたことを以前にも書いたんだけどと前置きして、もう一度ポストするということは結構ある。今回のラジオの最中にもやったけど。ポストの流れ的に必要なことがあったりするのよ。 link
xhloe先週はDaisyを流して頂いていたと聞いて録音分を拝聴していたのですが、これ以上無いというくらい丁寧で突っ込んだ紹介でもうただただ頭が下がります。技術的には未熟で拙いものの、最も想い入れのある曲でもあるので、ああして熱く語って貰えて嬉しかった。 link
plus4_kj3それにしても初スカイプ通話がネットラジオって…… link
sezu@manami_n うん!そうなんだ!まなみんの言いたいことわかってるんだ!ぼくも人形劇やってた身です。Pが演出してるんだって話を混ぜたかったんだけど、流れでうまく言えなくって… link
suzukiyouタグをつけて再ポストする。「ボカロの歌唱」と「人間の歌唱」を分割しておいて、またその歌唱のそれぞれを、「断片」と「組み立てられたもの」に分けておいて考える。四分割したマトリクスとしてこれらを配置しておく。 #kikisenradio link
NezMozz@cazucun うう、なんかうまく話転がせなくてごめんなさい。 link
suzukiyousezuさんの話:「ボカロと人間の歌唱は異なる」「ボカロの声の「断片」から「楽曲」へ構成するため、より入念な(ノンバーバルでもありえるようなレベルまで含めて)表現をするのはどうか」 #kikisenradio link
suzukiyoukjさんの話:「ボカロと人間は「楽曲」の次元で異なる」「歌ってみたなどで歌われやすい曲は、ボカロの「楽曲」の表現の機械的明瞭さ(ある意味では表現として拙いとして捉えも出来る)があるかも→例えば炉心」 #kikisenradio link
NezMozz今回のラジオはちょっと挑みすぎたかと思う。私も受け切れなくてかずくんの話の理解が雑になってたな。反省。精進します。ご面倒おかけしました各位!おやすみなさい! link
suzukiyoucazucunさんの話:「ボカロの声の「断片」はそもそも人間の声の「断片」ではない(嘘臭い)」「ボカロの「断片」から人間の「楽曲」へ対角線的に移動した(ように考える)ときに現れる逆説的な面白さは何か?(それはアクロバットで実証が困難かもしれない)」 #kikisenradio link
suzukiyouまず最初の区分けから危険な感じがするので、鵜呑みにはしないで欲しいです。 #kikisenradio link
cazucun@NezMozz いやw ぼくがちょっとアレなので、NezMozzさんは悪くないですw link
plus4_kj3@cazucun カウンター上手く出来ませんでした。ごめんなさい。 link
cazucun@plus4_kj3 いや、そんなことないですw ぼくもかなり暴走しちゃったので、気にしないでくだしあ!>< link
plus4_kj3リスナーの皆様にも、不快感を感じるおそれのある曲を十分に告知せずお聞かせしてしまい申し訳ございませんでした。 #kikisenradio link
plus4_kj3@cazucun いえ、もう一段上の暴走段階まで行けるような、スッキリとした流れを上手く作れなかったのは、自分に多々問題があったと思います。もう少し広げられた小ネタもあったので。 link
suzukiyouまてまて、さっきの区分けあれだったぞ、「演技」の項がどこに入っているのか分からないぞ! link
cazucun@plus4_kj3 いや、それでもカバーできない領域は出てきます。絶対に突っ込みは入ってしまう。それに過去はもう変えられません。いま重要なのは、あのラジオの「可能性」をひとつでも多く守ることです。だからそんな凹まないで!w link
cazucun@suzukiyou おそらく「演技」はあまり重要じゃないです。まとめの、あの方向性でいいと思います。 link
wanda001自分はミクのキャラクター論をやりたいんだろうか。それは、違うな。記事消そうかなー。うーん。 link
plus4_kj3@cazucun sezuさんのクロスカウンター食らってほぼKOだったのでw まあ、聴き専ラジオリスナーは自発的にみんな考えてくれるから非常に助かる気がする 次のゲストと書いて叩き台、もしくは生贄と読むw link
cazucun@plus4_kj3 たしかにぼくの説明のなさも、ラジオリスナーにたいする信頼感みたいなのが後押しになっていたように思います。ただゲストが「生贄」となると、誰も出なくなって、ラジオも終わっちゃいそうで、それは避けたい。 link
sezu@suzukiyou 三人の話を同じマトリクスに放り込むと、同じ単語で表せる「演技」って概念はなくなっちゃいますね。マトリクスは綺麗にまとまってると思います。 link
suzukiyouたぶん「演技」の項は、上手いことすればこれら四つの成分を上手いこと相互に関連付ける線になるはずだ、という予感がします。でもそれはもはやひとつの意味に固定できるような「演技」ではなくて、比喩的に用いられる「演技」になると思う。接頭辞をつけるなりして分類した方がいいかも。 link
suzukiyou「演技」を考え出すと「組み上げられたもの・楽曲」はいいとして、「組み上げられるもの・断片」は今ひとつしっくりこない。音楽なので「楽曲」と「音素」のアナロジーとして考えてみたのだけれど、ここを適当にアーキテクチャとか環境とか言ってごまかすのもいかがなものか。 link
mbstbotRT[reitia00:Lv1]ただちょっと敷居が高い感じがする。私は呼ばれている立場側なのでこの視点で言いますが、ボカロ曲をちゃんと聞いてないと叩かれそうな。も、もう少し気楽に… #kikisenradio link
nojiri_h宵のうちに寝たら聞き専ラジオもちんまんらじおも終わっていた orz link
suzukiyou人間の「演技」は、例えば「まずト書きがあって役者がそれをイメージとして表現する」というのがあるなぁ。カメラの前に立たされた人間は実存的でない競技の選手のように演技を始める、とベンヤミンは書いてたけど、それは現在の訂正可能な技術のある表現のレベルであって我々の認知はそうでないかも。 link
sezu@suzukiyou では「ガイド」「楽曲」という区分けはどうでしょうか。人間のガイドへの移行が容易なのでボカロは演技を加えずガイドのままであるほうが望ましいというのがkjさんの主張。ボカロのまま楽曲を完成させるためにはボカロ時点で演技を加えるべきというのがぼくの主張。 link
suzukiyou演劇は役者自身が役に憑依して話を進めるが、映画は役が役者を圧倒している。 link
suzukiyou.@sezu あ、そうですね、「ガイド」「楽曲」はsezuさんとkjさんの話によく合ってる。でもそうするとcuzucunの話は下のレベルで表現できないな、とも思う。あれはそもそも別の話だったのか、それとも同じ話だったのか正直よく分かりません。 link
suzukiyou別の話だったような気がするが、あえていいかげんに捉えても面白いとも。 link
suzukiyouいや、別の話だな…… link
suzukiyou空が白んできた link
suzukiyou「ガイド」はボカロの特筆すべき点だなぁ。 link
sezu@suzukiyou cazucunの話は、「メジャーボカロ曲は、当初キャラを演技していたが、現在はJ-POPを演技している」という文脈なので、かなり意味合いが異なるかと思います。 link
suzukiyouボカロ製作過程を知りもしないでこんなことを言うてすんません。にゃーにゃー。 link
sezu#kikisenradio RT @yulin : 「歌」だったり「喋り」だったりっていうのは少なからず「劇中」であり、そこで空気が変わる。それは演技というか、「自己表現」すべき場所になる、ってことなんだろうな、って思います。 link
ejiwarp@sezu 「その場の空気を表現する」なら演技に当たるとおもう。 #kikisenradio link
sezu@yulin RT @ejiwarp : @sezu 「その場の空気を表現する」なら演技に当たるとおもう。 #kikisenradio link
sezu@bsakatu 自分が鏡音使いだったから見えてないだけかもしれないけど、鏡音の頃がいちばん「みんなで調教技術研鑽しよう」って空気があった気がする。ルカ以降もいろいろ技術でカバーできる領域はあるんだけど、あんまりそれが共有されてない印象 link
chasyan@sezu それは、初期のリンレンに失敗作のレッテルが貼られ、それに反発した「鏡音リン 調教技術共有コミュ-リンちゃんと遊ぼう♪-」初代管理人の百合んごさんを初めとしたユーザーの皆ががんばったからって側面が強いですね link
plus4_kj3突然昨日の聴き専ラジオについて、「3人がぱっきり別れてそれぞれの主張を言う」形式より、「TLの流れを疑似再現する」形式にした方が、出る方も聴く方も楽だったのかなあと思ったり……(続く) link
plus4_kj3(続き)……でもそれってパーソナリティ側の負担が大きいよなー、と思ったり。良し悪しだよなあ。そして多分、どっちにしろ俺がバーサクさんの次に喋らない事は変わらなかったはずw link
plus4_kj3裏方志向!……なんかどこぞの芸術家の名前みたいな語感だな。 link
plus4_kj3なんとなく、過去のつぶやき掘り返して、sezuさんの志向を良い事とは思っているクセに反論した理由が分かった。ボカロに演技されたら、より作り手の感情を直接的にぶつけられてしまうからイヤなんだ。 link
plus4_kj3そうなると、なるほど、俺も完全に「ボカロは楽器」派で、わざと表現にフィルター咬ませて感情を込めるタイプなんだな。……でもボカロを使ってる時点でもフィルターかけてるってフシもあるな。 link
plus4_kj3「歌い回し」が殺される事によって、メロディ付きの「言葉」をより客観的に「読める」ようになったという感じ。それが、商業的・大衆受けな整理をされたものではなく、独立した個人の「言葉」で出てきている点も、作り手が浮き彫りにされる要素だと思う。 link
plus4_kj3その一方で、みんなが思いそうな事を、みんなが分かり易い歌詞で、みんなの知ってるボカロで歌わせる、っていうコミュニケーションもあるね。サラリーマンのうたとかそんな感じ。 link
sezuぼくは聴き専ラジオその他で「ネタばかり注目されてるので、もっと発音技術に注目しろ」と技術偏重の話をしてますが、それはあくまで皆がコピーできる基本で、なのに作り手に疎かにされている現実があるから。受け手がネタだけで評価するというのは、じつに正しい。 link
sezuむしろ、受け手には技術がどうのとか意識せずに、内容だけで評価していってほしい。過度に技術ばかり求められた結果は蛸壺化と没落。それはFlash文化の辿った結果でもあり、そこから学んだ現在のニコニコがなんとか回避できている点でもある。ただ、作り手はそれじゃ駄目だとも思う。 link
sezuこないだの聴き専ラジオの後半、@plus4_kj3 とのやりとりでは、こういうこと話せばよかったんだと気づいた。もう遅いけど。彼が危惧していたのは技術偏重による蛸壺化で、でも、作り手が技術を研鑽することまでは否定していなかったはず。そこを切り分けられてなかったので議論が進まなかった link



[追記]2009.11.04 00:30

marroneto聴き専ラジオの録音を聞きながら手芸中。演技論を聞いているとむずむずする。違う、お前演技した事ないべ!と興奮してくる。しかし演劇論をぶつ奴ってのは大概駄目な役者であり、ちゃんとした役者は論じないで実際演じてみせるものなのだ。演劇論をぶちたがる駄目な奴→自分。 link
marronetoでもでも映画の吹き替えもアニメに声当てるのも舞台もドラマも全部演技はデフォルメなんだよー。デフォルメの強さを観客との距離とかに合わせて調節してるだけであって、演技はすべてデフォルメなんだよ。 link
marronetoだって自然だったらそれ本物の感情だもの。演技じゃない。自然に見えると自然は別物なんだよ。ナチュラルメイクとすっぴんの違いみたいなもんなんだよ。 link
marronetoふー、スッキリした。 link
marroneto思うにボカロの演技ってのは人形劇なんだと思う。人間と違って無機物が演技で有利な点は無駄な動きをしない所だと思う。よく訓練された俳優はなるべく無駄な動きをしないけれど、生命活動まで完全に止める事はできない。 link
marroneto筋肉の痙攣、呼吸、脈拍、汗、の一切合財、演出者の意図した動き以外の事は全くしない。演出者の意図を純粋に反映するのが無機物の演技。 link
marroneto逆に人間の俳優の演技は、俳優の脚本や役柄の理解に俳優自身の個性が加わってくる。出来上がったものは100%演出者の意図したものではなく、様々な個性が交じり合ったものになる。それが奇跡を産む事もあるし、演出者の足を引っ張る事もある。 link
sezu聴き専ラジオで「ボカロの演技にはPの意図以外のものが入らない」「演技はデフォルメ」という話をまさにしたかったんだけど、ラジオでそこがうまく伝えられなかったようで歯痒い。演技経験者のひとが一様にそこに引っかかってる。やっぱ「演技」って言葉の選択がまずかったのかなあ。 link
sezu聴き専ラジオの反応を集めたくて「演技」でついったー検索して、別の演技の話題の多さに愕然とするなど。どんだけみんな演技好きなんだよ。ぼくも好きです。ですよねー。 link
sezu「ボカロの演技にはPの意図以外のものが入らない」「演技はリアルな行動とは違うデフォルメ」という話をまさにしたかったんだけど、ラジオでそこがうまく伝えられなかったようで歯痒い。言葉足らずでごめんなさい。と、ハッシュタグ加えて再post。 #kikisenradio link
sezu「ボカロの打ち込みは絵を描くのに似てる」という意見がTLに出てまして、そうだなあと思う。細部を描いては消して、だんだんと脳内の理想に近づけていく。人間とはそこが違う。そう考えるとやっぱり「演技」って言葉の選択は、語弊があったかもしれませんね。 #kikisenradio link
a_kakko_c@sezu 良い二次元がリアルより萌える様に、良い演技というのはリアルな行動とは違う、リアルよりも心に訴えるものであると。ピニェルの振り子@野尻抱介先生にもでてきた、超正常刺激ってやつでしょうか? #kikisenradio link
sezu@a_kakko_c 超正常刺激って初めて知りました!wikipedia: http://bit.ly/4sy8pm こんな名前がついてたんだ。「これです」って断言するのは危険な気もしますが、どんな言葉で表すにしろ、リアルとリアリティは別物ですよね。 #kikisenradio link
a_kakko_c要するにエッセンスをとりだして強調するのが創作のテクニック、何がエッセンスかを見抜くのがPのセンス、てことになるんでしょうが、ボカロにさせる演技にも、演劇畑の人のほうが具体的なテクニック持ってるかも。そっち方面の経験あるボカロPっているのかな? #kikisenradio link
sezuさっきの自分の発言読みなおしてさらに語弊があったので追記。演技がリアルと違うというのも承知してますし、ボカロと人間の演技(や、人形劇の演技)もまた違うなあ、というお話。別個に捉えていただけるとありがたいです。 #kikisenradio link
sezu@a_kakko_c 一応ぼくも昔人形劇やってましたが、ダメ人形使いだったのでエッセンスを活かせているかというとあんまり自信がありません。 link
a_kakko_c@sezu できれば「人形劇とボカロの演技の違い」を具体的に一点だけでもあげていただけると参考になるんですすが。て、作ってない人間が粘着してるみたいでほんとすみません。これで控えますね。 link
a_kakko_cあ、#kikisenradio をつけわすれちゃった。 link
sezu@a_kakko_c 「人形劇とボカロの演技の違い」:人形劇は、というか生の舞台ぜんぶに言えるんですが、ライブなんですよ。一度やったことはやり直せないし、観客の反応も毎回違う。ボカロは逆に、完全な再現性があります。 #kikisenradio link
sezu@a_kakko_c 言葉足らずな部分はしっかり埋めておきたいので、なんかハテナな部分があったらいくらでも突っ込んでいただけた方がありがたいですよー! link
a_kakko_c「ボカロは、完全な再現性がある」つまり強力な長所なのかな?あえて再現性を崩すことも不可能じゃないわけだし。考えても創作センスがないから、その生かし方がまったくわかりませんw 同じ流れを繰り返してからオチを持ってくる脚本に向いている、とか? #kikisenradio link
sezu@a_kakko_c あ、編集時点で制御可能かどうかの話です。舞台では一発勝負だけど、ボカロは何度でも細かい修正を入れていける。なお、映画なんかは撮り直しできますが、役者も人間なので完全に同じ演技を繰り返して微修正していくわけにはいきません。 #kikisenradio link