第3回放送のTwitter発言まとめその4(ボカロと演技についての@cazucunさんの思索)

cazucun大塚英志が言うところの「虚構を通してしか描けない現実」とボーカロイドの関係性とかを語っていて聴き専ラジオ第三回の76分くらいからがすげーアツイ。 link
cazucunここのところを、技術論とかではなく、もっとこう、抽象的でいいから「いかにして音楽のなかに持ち込むのか」みたいな感じで語る、というルートもあったなー。など。 link
cazucunsezu さんがいうところの「表情」とかの話は「まんが・アニメ的リアリズム」の話に近い。ベタに感情を表現するための技術とかを模索してる。「いかにしてキャラクターに血を流させるか」。 link
cazucunが、しかしそのベタさゆえに、その手段について語ろうとしたら、具体的な技術論としてしか話せないわけだな……。 link
cazucunしかしその一方で、sezu さんがお勧めするような動画があまり有名でない(と思われる)ことについて。誰もボカロに「表情」とか求めてない、という身も蓋も無い現実をどうハッキングするんだろう。 link
cazucunあるいは、技術論的な手法だけではボカロに「声の表情」は宿らないのかも。というか、こういうふうに考えることで、ランキングに登ってくるタイプの動画をJPop的なものと差別化して、ボカロ的な楽曲の進化版として肯定的に捉えてみたい。 link
cazucunなんか投稿されてなかったのでやる気を無くした。 link
cazucunボカロに表情が求められていないのではなく、技術論的な手法だけでは表情を表現するには足りないだけで、そういう発想から、ランキングに上るようなタイプのボカロ曲を肯定的に捉えてみたい、みたいなことを書いていた。 link
cazucun具体的には、sezu さんがボカロの「演技」について喋っていたことを補助線にしつつ、「演技性」が見出されるためには、「演技している主体」と「演技されている客体」のふたつが見出されないと駄目で、sezu さんはぶっちゃけそのあたりが混線している。 link
cazucunこれは別にdisってるのではなく、つまりボカロが「演技してる」と認識されるために必要なのは「内面」ではなく、「元ネタとなる動画」および「それをネタにしている動画」だからだ。 link
cazucunもう勢いで書いちゃうけど、だからボカロの内面(演技している主体)にリアリティを見出すためにこそ、ボカロ曲からは積極的に「ボカロの私語り的な想像力(ボカロのキャラソン)」が排斥されていったんじゃね? みたいな。 link
cazucun結果、いまのランキングのように、ありがちといえばありがちなJPop的な楽曲が「元ネタ」として主流になった、と。ボーカロイドのリアリティはキャラクター(演技される客体)としてではなく、アイドル(演技している主体)に担保される。 link
cazucunこう考えると、『メルト』以降のボカロ曲がけっしてボカロの歴史的な流れから切断されているわけではなく、むしろその限界から変化を要請されたのだと捉えなおすことができる。 link
cazucunなに真面目に話してるんだ。 link
cazucunだいぶ乱暴だけど、まあ、うん……。 link
cazucunボーカロイドをめぐるまんが・アニメ的リアリズムゲーム的リアリズム。その切断線としての『メルト』。おお。スマートだがこれなんてあずまん?w link
cazucun正直テンション上がってきたわ。 link
cazucunパズルを解いたような非生産的なライターズ・ハイ。 link
cazucun勢いで書いちゃうけど〜のあたりが乱暴か。 link
cazucunメルト以前はキャラクターであることにボカロの内面が宿り、メルト以降はアイドルであることにボカロの内面は宿る。そして後者を、アバターとしての、つまり作り手の感情を代弁するツールとしてのボカロが裏から支えてるように見えなくもないけど、たぶん違うな。 link
cazucunそのアバターとしての機能はJPop的な環境を「元ネタ」とした際に副次的に輸入された、と考えたほうが良いかも。 link
cazucun思想地図第三号の「アーキテクチャと思考の場所」における宮台真司の話を補強してるなー。ボカロ曲はネタ的コミュニケーションの環境における楽曲(歌謡曲)として生き残る、みたいな。 link
cazucunだからまあ、バンプっぽいとかRADっぽいとか、むしろ肯定的に捉えるべきとまでは言えなくとも、必然的な結果ではある。あれは○○っぽさをボカロの内面のリアリティが「演じている(ネタにしている)」ように思わせるからだ。 link
cazucunつまりあれは、アンチ行為をすればするほど、ボカロの存在を大きく捉えていることの証明になっちゃう、という罠なんだな。 link
cazucunつーかこれ早朝にするポストじゃないよね……。時間帯さえしっかりしてれば食いつきが良かったかも? べつにいーけど。 link
cazucunoO(ネタ創作とネタ的コミュニケーションだけじゃ駄目なんだ……。創作行為それ自体の世俗的なガス抜きとしての価値、言い換えるならオリジナリティなどの神話性は守るべきなんだ) link


[2009年10月25日追記]
上記に対しての @sezuさん、@cazucunさん、@plus4_kj3さん達の数日に渡る発言を下記に追加。
もうこのメンバーで「ボカロと演技」についての後編放送でやりませんか?



cazucun「もしぼくの考えが正しくて、ボカロがすべての楽曲を自らの内面を倒錯させるためのネタだと考えているのなら、あの無機質で醒めた声はこれ以上なくアイロニカルなものだとして捉えることができる」とか言いたい。で、スノッブな新規ユーザーとか引きずり込みたいw link
cazucun作品の批評性を発見する(あるいは捏造する)ことについて。たとえば、ニコニコ動画においてただの受け手が「コメント」を書くことでさらに動画を盛り上げられるように、「祭り」にはある程度の共犯関係が必要。 link
plus4_kj3cazucunさん、一人で突っ走りすぎや。おいちゃんついてけん。 link
cazucun「あえて」の美学について。 link
plus4_kj3うーん、結局ランキングに上がってくる動画がJ-POP化してくるっていうのは、単純に人間の歌手の場合と同じで、「有名な歌手が、曲によって自分や今の社会の心情を代弁している」って程度の話なんだよな。 link
plus4_kj3どれだけ多くの人が共感出来るかどうかが、主なポイントになってくる。 link
plus4_kj3で、そんなキャラクター論こねくり回すのは疲れるので飽きた!!むしろ、例えばアゴアニキさんを引き合いに出すと、ひきこもりの心情をリン・レンに歌わせてランキング上位にくるような曲がある事の方が、ボカロの周辺語るには重要だと思うんだよな。 link
plus4_kj3「あれがJ-POPで出せるか」「出すとしたらどんな人が歌うのか」「それは売れるか」 link
plus4_kj3結局、ぐるぐる回っていくと、「単にソフトだしなあ」というところに落ち着かざるを得ない点。 link
plus4_kj3ただ、混乱してるだけになってきた。 link
plus4_kj3うp主の母役:初音ミク うp主の妹役:鏡音リン うp主代理(紳士スタイル):KAITO link
plus4_kj3空虚なキャラクター性によって助けられているのである。……例えば、ねえ、……鈴木ろりー太さんとか。おい。 link
plus4_kj3だってガッチガチなキャラクターにアレ歌わせてたら、大惨事だろう!!www あれ、くぎゅっぽいどとかでやってたら頃されちゃうよ!!www link
plus4_kj3……なんの話だよ。……寝よう。 link
plus4_kj3風呂入ってたらようやくcazucunの言いたい事が理解出来たでござる link
plus4_kj3キャラクターの演技は「本物になる」っていうけど、人間の真似させるテクニックって、キャラクターのリアリティになるの? link
plus4_kj3例えば、マンガのキャラって現実だったら死んじゃうような爆発でも、焦げてるだけだったりアフロになってるだけだったりするよね? link
plus4_kj3それが「カッコいい」「おもしろい」っていうのがマンガのリアリティだよね。じゃあボカロキャラたちも人間ぽい必要はないんじゃないの? link
plus4_kj3実際にランキング上位曲に、そういう人間に似せるテクニックはあんまり必要とされてないよね?そこにヒントはないのかな? link
plus4_kj3『メルト』の登場から、初音ミクは「アンドロイド」的なイメージより、「普通のアイドル」的イメージで捉えられやすくなったよなあ。 link
plus4_kj3「普通のアイドル」ってイメージになれば、最近のランキングでJ-POP風な曲が多いのも納得だよね。そっちの方がリアルだもん。 link
plus4_kj3……と、なんか肝心の演技部分がこぼれてるけど、俺が噛み砕いた内容はこんな感じ。 link
cazucunこれは。RT @plus4_kj3 キャラクターの演技は「本物になる」っていうけど、人間の真似させるテクニックって、キャラクターのリアリティになるの? link
plus4_kj3確かに恋洗リミックスの「あーー!!」率の高さを考えてて思ったんだけど、あれって人間が歌う場合なら相当変だよなあ。 link
plus4_kj3でも、「あーー!!」だけのリミックスがあるくらい、恋は戦争の代名詞となっている訳で。 link
plus4_kj3同様なのが、炉心融解の「ぴゃーー!!」とか、ぽっぴっぽーの「あー!あ・あー!あー!」とか。 link
plus4_kj3抑揚の無い「伸ばし系」「ぶつ切り系」が、今のところの分かりやすい例なのかな、と思ったり。 link
plus4_kj3と、無駄に考えまくった結果が明日も睡眠不足だよ!!これじゃ文字通りのボカロ廃じゃねえか!? link
cazucun「演技されている客体」という想像力をフィルターにすることによって、「演技をしている主体」とそのリアリティが「逆説的に」炙り出されるというか。もちろん錯覚として。自分で言うのもなんだけどすげーややこしい。 link
cazucunそれは言わば「裏の裏は表」思考の罠。みたいな。嘘(キャラクター)が嘘(演技)ついたらどこかに「本当」が現れる……わけがないんだけど、でもそう思っちゃう。 link
cazucun戯言のバーゲンセールだな。 link
plus4_kj3つうか長い文章はブログで書くべきです!イヤです!何故ですか?ブログはイヤです!子供かお前は! link
plus4_kj3分かったのか?それとも間違った方向へばく進しているのか? link
cazucunあ、ゲーム的リアリズムとか書いてるけど、あれは間違いw それはどちらかというとボカロの今後の課題としてある。 link
plus4_kj3@cazucun いや、もう、なんか、ごめんなさいね link
cazucun@plus4_kj3 あ、いや、こちらこそなんだかすみません。ホント、ぼくのことはbotだと思って、ガンガン突っ込んでくださいw link
cazucunoO(二次創作としてのボカロ曲。「原作」の範囲は既存の楽曲すべて。で、問い。拡張された二次創作は一次創作と呼べるかどうか。答え。どちらとも言えない。すべてはシミュラークルlink
cazucunすべてに嗤われ、それゆえに生き延びる「ゾンビ」。その象徴としてのボーカロイドについて。 link
sezuhttp://d.hatena.ne.jp/kikis... @cazucun さんがぼくの言いたいことを汲み取ってくれてとてもありがたい…! ボカロと演技の話。あの伝わらないトークからよく受け取ってくださった! link
sezuまんが・アニメ的リアリズム」の定義をはっきり覚えてないし検索してもちょっとよくわからなかったのですが……ぼくの興味として、「ベタに感情を表現するための技術とかを模索してる。「いかにしてキャラクターに血を流させるか」。 」という要約はまったくそのとおり! link
sezuで、「誰もボカロに「表情」とか求めてない」ってのもその通りで。伸びてるトークロイド聞いても、こないだラジオで強調したような表情づけはほとんど無視されてる。ネタだけで評価されてる。それが悪いわけではないし、むしろボカロはそういうツールじゃないんで、要求するのも筋違いなんですが。 link
sezuただ次期ボカロでも表情ライブラリを模索していることといい、ボカロの未来にそういった表情(ニュアンス)が求められることは確実。現状のツールがそれにひどく適してないというだけ。 link
sezuなお、ぼくはミクのappend diskのようなアプローチで表情づけをするのは、これまたエレガントではない解だよなーと思ってる。なぜなら、そのアプローチはDB単位での表情切り替えであり、連続的な変化が出せない。つまり「演技」できない。あー、この話はラジオですべきだった。 link
sezuいまひどくねむいし、やっぱり思考が整理されてなくて垂れ流しで喋ってるので脇の甘い話になってる気もしますがそれはそれとして。http://twitter.com/cazucun/... で指摘された「演技している主体」と「演技されている客体」について。 link
sezu.@cazucun の話でちょっと飲み込めてない部分もあるので再解釈すると「ボカロには内面がないよ、だから動画の内容そのものをダイレクトに伝えられるよ」という話をしていたのかなと。だとすると別にぼくの話と矛盾するものではないです。というか、そういうこと言いたかったんです。 link
sezu.@cazucun が「メルト以降のボカラン」の特徴として挙げてるのは、ボカロ自体のキャラクターを排除して、無個性な存在として歌詞の内容を歌わせたこと、だと……えっと、ちょっと自信ないんだけどそういうことだったよね link
sezuで、Autotuneな歌声を合わせてきたりするのもたぶんその要請なのかなーとおもうんですが、そこには「演技」はない。というか、そもそも演技できると思われてない。しかも演技させても再生数には結びつかない。 link
sezuとはいえやっぱ、意味内容だけに頼るのは、ボカロの可能性の一端を排除してるので勿体ないとおもうので、もっとボカロが演技できるってことを知ってほしいし、隙あらば取り込んでもらえたらぼくが嬉しいなーとか、あれ、何言ってんだこれでいいんだっけ?わかんない。 link
sezuとにかくそういうわけで、ぼくは前回のラジオでは、意味内容とか無視して、純粋な「演技」のみの話をしました。技術論になっちゃったのは話の持ってきかたとして失敗でしたね。でもシナリオに触れるとそっちに注目されちゃうんだもん。語るのむずかしいよー誰かぼくの言いたいこと翻訳して>< link
kaeru_boiled@sezu ラジオ少し聴いてましたー 演技ってのは魂を入れてほしいってことなのかなぁ。メロディに関係ないブレスとかあったりするのは 歌手の演技が前提だし。 アニメーションするってのと同意義のように思えます link
sezu何が言いたいかっていうと、声にはノンバーバルな情報があるだろ!なんでそんなバーバルな部分にしか注目しないんだよ!っていう。ノンバーバルな情報を「作り込む」ことができるのはボカロならではの特性なのに、そこが軽視されてるのが悔しいんです link
sezuあ、いまうまく端的に言えた気がする link
sezu@kaeru_boiled そうそう。ブレスくらいならやってるひとも多いんだけど、声を曇らせたり震わせたり泣かせたり唸らせたり叫ばせたり囁かせたりするのってあんまないですよね。ボカロだからってそれができないわけじゃないのに。 link
kaeru_boiledキャラクターが ドラマの俳優 さらに アニメの声優 から切り離されて ボカロ動画では? キャラクター演技コンテンツの作者の濃度があがってく link
sezu生声に比べてボカロは、より「コントロール可能」なんですよね。写真より絵、生録より打ち込み、実写映像よりアニメのほうがそうだというのと同じに。情報量を少なくして、意図した、デフォルメした情報のみを載せられる。 link
sezuRT @kaeru_boiled : キャラクターが ドラマの俳優 さらに アニメの声優 から切り離されて ボカロ動画では? キャラクター演技コンテンツの作者の濃度があがってく link
anokonosonoコントロール不可能な状況をコントロール可能な状態でつくりだそうとするのはなんなんだろうね link
sezuあれは演技とは違うかなとー。声の変化の幅は広いけど。 RT @anokonosono : 声での演技…笑い ならハルナさんのメランコロイドとキイチさんのラブラブナイトメアが一番に浮かぶ link
sezu@anokonosono んーとー、Melancholoidとかの話ですかね<コントロール不可能な状況をコントロール可能な状況でつくりだそうと link
kaeru_boiled特に人間の演技だと この要素がないので不気味ってのと この場所ではこうデフォルメしないと伝わらない ってののせめぎあいだな。舞台とTVじゃちがうし現実の会話はもっと違う。ネットはさらに違うのかなぁ?という段階 link
sezu創作物においては、無意識に出る声や溜息もまた、明確なメッセージを持ってるんですよねー。ホントに無意識に出す声じゃ、まずOKは出せない。 RT @anokonosono : コントロール不可能な状況をコントロール可能な状態でつくりだそうとするのはなんなんだろうね link
sezuRT @kaeru_boiled : 特に人間の演技だと この要素がないので不気味ってのと この場所ではこうデフォルメしないと伝わらない ってののせめぎあいだな。舞台とTVじゃちがうし現実の会話はもっと違う。ネットはさらに違うのかなぁ?という段階 link
sezuなんとなく論点が見えてきたのでぼくは寝るのでした。明日だいじな用事があるのに…… link
cazucunぼくの電波が紆余曲折視しつつもsezuさんにも届いたようでぼくとしては嬉しいしなんだか不思議な感じ。 link
cazucunもうね、テーマが「演技」ってだけで萌えてたもんね。あと技術論もすごく良かった。ボカロの本質(声)と特徴(キャラクター性)に見える、楽曲創作環境における志向性の齟齬が、逆説的にボカロの「キャラクター性」という概念のイレギュラーぶりを証明してる、っつーか。 link
cazucun「なんか投稿されてなかったので〜」のあたりから議論の方向性をずらしてる。んだけど分かりづらいっつーかなんつーか。 link
cazucunまあ、あずまんふうに要約すると、メルト以前は「ボカロ」に対して形而上学的で、メルト以降は否定神学的、って話をしたかった。 link
plus4_kj3風呂入ってたらまた少し考えが浮かんだが、まあいいや。 link
plus4_kj3結局どこまでボカロのパラメータ調整するかは、作者がその作中でどの程度ボカロに重きを置いているかで決まってるんだよなあ、とそんだけ。 link
ejiwarp@plus4_kj3 「どの程度に重さをおいている」というのは音楽のジャンルによるものではないかと。どんなボーカルだろうか、編曲とミックスでの影響は大きい過ぎる。 link
plus4_kj3ある意味で、鬼神の如き調整を施されたお喋りと、最早原型を留めていないまでの全部ミクは、同類だなあとw link
plus4_kj3ぶっちゃけ「歌ってみた」登場によって完成する作品なのか、それともボカロ使用時点で完成させる作品なのか、ってな感じかねえ。 link
sezuあっ、これ良い分類。後者であればもっと歌声にノンバーバルな情報乗せていいんじゃね?って思います。 RT @plus4_kj3 : ぶっちゃけ「歌ってみた」登場によって完成する作品なのか、それともボカロ使用時点で完成させる作品なのか、ってな感じかねえ。 link
sezuこないだのラジオの話が、ついに半postぶんに要約できてしまった… link
cazucun「歌ってみた」登場によって完成する、ってなんか新鮮で面白い。いや、おれが無知なだけなんだろうけどさ!w RT @plus4_kj3 ぶっちゃけ「歌ってみた」登場によって完成する作品なのか、それともボカロ使用時点で完成させる作品なのか、ってな感じかねえ。 link
cazucunそらカラオケのランキングもボカロばっかになるわ。 link
plus4_kj3あ、そうか。「参加を促すエンターテイメント」と、「何かを伝える芸術」の違いなんだ。 link
plus4_kj3@cazucun いや、要するにJ-POPのランキングは最新作カラオケランキングとほぼ同じな訳で、そういう音楽の付き合われ方が今も主流なら、ボカロ曲でもそれが成り立つってだけの話で。 link
sezu明快で鋭い意見 RT @plus4_kj3 : @cazucun いや、要するにJ-POPのランキングは最新作カラオケランキングとほぼ同じな訳で、そういう音楽の付き合われ方が今も主流なら、ボカロ曲でもそれが成り立つってだけの話で。 link
cazucun@plus4_kj3 あ、なるほど。 link
plus4_kj3みんな知ってて、みんな歌えてなんぼな歌。大衆歌。ランキング嫌いとハッキリ言う人は、この右向け右がイヤなんだよね? link
plus4_kj3風呂上がりばかり脳ミソ働き始めるのがムカつくなw link
plus4_kj3@ejiwarp まあ個人的に言いたかったのは「敢えてボカロに歌わせてる」度の軽重なのですが、そうするとコブシや揺れの民謡・民族音楽や、叫びのメタル、リズムのヒップホップみたいな部分で、ジャンルによる違いとも言えますね。 link
ejiwarp@plus4_kj3 芸術の領域はフィーリングがメインでしょう。そもそも芸術はフィーリングをコントロールする手段の一つ。 link
plus4_kj3@ejiwarp いや、インターフェースの話から暴走しているので、芸術に限った話ではないんですがねw link
plus4_kj3個人的には、「芸術」って概念は弱いんだよなあ……。「文化」の方がしっくりくる。 link
ejiwarp@plus4_kj3 全領域の話たと、方法論が発達するほどラクな領域になる、これでは理系は黙っていられないw link
ejiwarp@plus4_kj3 いや失礼。w 技術と知識はツール、実際の出来はセンスに関わるみたいな話。 link
plus4_kj3うーん、無責任に布団でぼんやりとつぶやいてたら、なんか重要な事らしい。 link
plus4_kj3@ejiwarp あ、芸術についてはそれで同意です。技術・理論的引用をどう生かし、どう殺して、自分の表現を行うかですね。 link
ejiwarp@plus4_kj3 なんとなくゲーム製作、大型動画製作におけるチームの意思通達を思い出せる。方法論と技術は存在していて、監督の意向をどう捕らえて製作していくとか。 link
plus4_kj3うーん、はじめは単純に「人間、脳ミソ介して判断するよりも、割と体感重視だよね」ってつぶやいたつもりだった話が、思いつき書き放題で色々ブレて読めるのかも。 link
plus4_kj3ただ、その「体感」メカニズムに関するネタは色んな人が掘り返していってるから、そちら拝借しない手はないよね。と、展開したのか俺は。 link
plus4_kj3理論になるということは「だいたいあってる」ということで、それがヒトの体感に関することならば「だいたいの人がそう感じる」ものだという訳で。 link
plus4_kj3みょーん。(臨界点突破) link
ejiwarp@plus4_kj3 「謎の感動」に近い話だな.... link
plus4_kj3とりあえず、明日何しようか考えよう。面白い事やろう。 link
plus4_kj3今日の風呂では何も思い浮かばなかったのです!これは熟睡フラグ! link
cazucun今日の聴き専ラジオにsezuさんが再登場して前回とは違う視点からボカロの演技性について話す、という「このテーマじつは前後編だったんだ」展開に期待。 link
cazucunそーいやはてブの米( http://b.hatena.ne.jp/entry... )で突っ込まれてたけど、なんで『メルト』が切断線なのかって、なんとなくですよ。 link
cazucunまあ、そういう細かいことを言えば、ニコニコ動画以前のボカロとかぼく知らないから語れないし、UTAUとかMMDとかについて言及してないし、国外でどう消費されてるのかも知らないしね。 link
cazucunそれになにかを論ずるときはある程度乱暴になるものだし、状況の変化はシームレスだし、分析はあくまでも対象の後を追うものだし。 link
cazucunぼくの動機としては、sezuさんの議論を明確にしてみたかった(できたかどうかはべつとして)というのと、sezuさんが作り手に着目する際に用いているのと同じような想像力を「裏返して」受け手に向けてみたかった、という。それだけ。 link
cazucunそうそう。ボカロがかつてキャラクターとして消費されていたことの象徴として、「ボカロにしか歌えない歌を歌わよう!(高速歌詞とか)」って想像力が挙げられるんじゃね? link
corbicula@cazucun それはむしろ全てがカラオケ前提のJ-POPへの反発もあったような気がする、と、また流れを読まずに@飛ばしてみる(苦笑 link
cazucun@corbicula ふむむ。じつはそのころのこともぼくはよく分かってないですw や、ランキングとかは見ていたんですが、製作者がどんなことを考えてるのか、とかはさっぱりで……w link
corbicula@cazucun メルトアンチなんかもその流れで批判してるコメが以前は多かったように思います。結局J-POPの流れじゃねーか、的な。そういう意味では「メルト前後」って分け方はキャラソン以上にJ-POP的なものの許容って軸で自分は捉えてましたw link
cazucun@corbicula いまメルトをDLしたときのフォルダのなかにある「あとがき.txt」を読んでいたのですが、「メルトの歌詞に関してですが、「きみをわすれない」を作ったときにコメントでミクが歌うには重過ぎる歌詞、という指摘」と書かれた箇所を発見しました。 link
cazucun@corbicula ボカロの歴史のなかでキャラソン的なものとJ-POP的なものをめぐる想像力を見出すのなら、やっぱりこの時代がベストなのかもしれません。などと思いましたw link
corbicula@cazucun 多分「初音ミク」を巡る、くらい絞れば正しいんじゃないかと個人的には思います。 link